イエス・キリストは、おっしゃいます。「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」 こうしたみことばは、多くのキリスト教徒に神のみこころを行なうように懸命に働かせて、彼らの心に恐怖を与えています。
ほとんどのキリスト教徒は、自分たちがする必要がある唯一のことは、天の御国に入るために、イエスを信じることだと考えていますが、マタイの福音書 7:21 は、イエスに向かって、「主よ、主よ。」と言う者がみな天の御国にはいるのではないと教えています。
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この世には、ただイエスを信じて新しく生まれたいと願う人が大勢います。しかしながら、まず申し上げておきますが、新しく生まれることは私たち次第ではありません。言い換えれば、私たちの行ないだけによる結果として、もたらされないものです。ほとんどのキリスト教徒は、これを誤解しています。彼らは、自分たちが必ず新しく生まれると信じています。彼らは、とりわけ次のような理由で、そう信じています。多くの新しい教会を建てることによって救いを受けようとする人もいれば、宣教師として遠く離れた場所で、神のみことばを知らない人々の間でキリストを説くことに献身する人もいます。また、結婚を拒んで、神の働きであると信じていることをするために、すべての能力を費やす人もいます。 https://www.bjnewlife.org/ https://youtube.com/@TheNewLifeMission https://www.facebook.com/shin.john.35
旧約聖書には、メルキゼデクという名の大祭司がいました。アブラハムの時代、ケドルラオメルと王たちがアブラハムと盟約を結び、ソドムとゴモラの全財産を奪って行きました。アブラハムは、自分の故郷で生まれた自分の訓練を受けたしもべを武装させ、ケドルラオメルとその盟約国との戦争に導きました。そこで、アブラハムはエラムの王ケドルラオメルを打ち破り、王たちはアブラハムと盟約を結び、おいのロトとその所有物を取り戻しました。アブラハムが敵を打ち破った後、シャレムの王であり、いと高き神の祭司でもあったメルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来て、アブラハムを祝福しました。 そしてアブラハムは彼にすべての物の十分の一を与えました (創世記 第14章)。 https://www.bjnewlife.org/ https://youtube.com/@TheNewLifeMission https://www.facebook.com/shin.john.35
ヨハネの手紙第一 1:9は、義人にのみ当てはまります。まだ贖われていない罪人が、この聖句のみことばに従って、日々の罪を贖おうとして、自分の不正を告白しようとしたなら、その人の罪は終わらないことでしょう。私がここで申し上げていることが、おわかりですか。この節は、まだ新しく生まれていない罪人には当てはまりません。この世には、まだ新しく生まれていない人が大勢いますが、ヨハネの手紙第一 第 1 章からこの節を取り上げて、赦しを願い、祈って罪を悔い改めます。しかし、新しく生まれていない者は、告白の祈りを通して罪を完全に贖うことができるでしょうか。これは、先に進む前に考え、明確にしなければならない重要な点です。 https://www.bjnewlife.org/ https://youtube.com/@TheNewLifeMission https://www.facebook.com/shin.john.35